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六日目 うっそー、あなたはもう日本人
平成10年9月3日(木)くもり、雨  広州In中国(1HK$=20円)(1元=16円)


 今日は、朝10:00位に宿を出た。おじさんに作った折鶴をあげると喜んでくれた。そしてこじは、たくみな英語で(注1)この宿に私ら当ての手紙が来る事を説明すると、心良くいいと言ってくれた。その後TAXIで駅まで行った。HK$19で安くホッとした。あー、香港いろいろ良かったなと思い出した。そして駅で(注2)焼きソバを食べ、ホームに向かった。地での国超えは、ちい初めてである。駅で出国か。駅が空港の役割もしていた。そして列車で中国に向かった。そうだ、重慶大厦のエレベーターでまた、あの面白い黒人さんと会った。「おはようございます。」だって...。私達が1年旅すると言ったら「ウソー。」だって、もうあなたは、日本人です。とちいは思った。そうそう列車で景色を見ていくうちに、ビルから田んぼに変わって行った。そして牛とあひるを放牧している所なんかもあってのんびりしていた。屋根がとたんで上に石がのっけてある家も見た。今時だ。ついに私も中国に来たと言う感じである。列車で物を売っている女の人も自分の思い通りにいかないと、チッと舌打ちしたり、顔色に出たり、日本のサービス業では考えられない。こじの話しによれば中国は社会主義国だから、どんな働きでも同じ。自分が楽ければその方がいいんですと...。そんなもんかなあ?と私は思った。まあ資本主義で生まれ育った私には、わかる訳もないし、どーこー言われる事もないが、私は保母の仕事をしてた時、楽なんかより子供が喜んでくれるんだったら自分の苦を選んでたのにな。気持ち、ただ気持ちの違いなのか?そんな事を考えながらも駅(広州東)に着き入国もすませ歩いていると、駅に、なーんか人が多い。絶対多い。メッチャ多い。中国に来て次に驚いた事は、話し通り人が多い事だった。そしてすぐに、ホテルの客引きが私達に寄って来た。250元でどうだ。とか、タクシーに乗らないかなどと言ってくる。1人が集まると5人はやってくる。さっきの人も150元に下げて来た。私達のまわりに、また5、6人が集まった。すごい。そして、私達が行こうとしてるホテルは外人だめとか言って来たり。あらゆる手段である。しかし顔が似ている事もあるし、そんなにしつこくないのでまあ、それ程怖い事もない。ごちゃごちゃもめていると、女の人も1人参加してきた。やじうまか?また人数が増えた。そして、その女の人は、手に紙を持っていて見ると2人で90元とかいてある。こじは「ここにしよ。」と言って行こうとすると、他の客引きもその紙を見てもう、これじゃお手上げと言うポーズであっさり行ってしまった。そして3人で大部歩き宿に着いた。ここの宿は、特に中国人が泊まっていて、あまり外国人がいない。多分以前は外国人は、だめだったと思われる。のはいいのだが言葉が全く通じない。英語が話せる人が1人もいない。おまけに全員単語1つもわからない。会話にならない。向こうは一方的に広東語。こじは「I don’t know !!」を連発していた。しかし、その人達は紙に字を書いてきた。あまり分からないが、たまに分かるのもある。私も、我先払金とか、銀行とか字で会話した。この時思った。あー漢字書けて良かった。香港にいる時は、もっと英語が話せたら、と思ったが、ここに来たら、英語ちょっと漢字も書けて、本当に良かったと思った。悪戦苦闘の結果やっと決まり、シャワートイレ付き110元の所にした。本当にやっと。部屋に入ると、どーっと疲れた。雨もどーっと降って来た。こじが、「あまりにも大変でリュック背負ってるんも忘れとったわー。」と言った。確かに、駅から話しが成立し部屋に入るまでずーっとだ。余裕がなかった。ちいは、部屋に入ってからも、しばらく背負ってボーッと立っていた。くらべてはいけないが香港が長かったので何か落着かない。こじは、すぐに、くつろいで歩き方を読み出した。ちいは、ベッドで座っていた。中国ショックなのか?そんな事もありながら、町ブラする事にした。中国も韓国と一緒で右側通行、左ハンドルである。そして日本車もあればボロ車もある。オートバイも多く、メットをかぶっている人は少ない。2人乗り当たり前、3人乗りもいくつも見た。警察もノーヘルで2人乗りしていた。道に信号、横断歩道はなく、頼りになるのは、自分の目と足。何てとこだ。まだ1日目下手なのは、おどおどしてるのは、私達2人である。客引きのお姉さん、すーすーっと渡ってったなあ。うちらも、おいてかれては、と一生懸命ついて行ったっけ。2人になると、効率が悪い。よっしゃ中国を出る時は、上手くなってやるーー。それにしても道はすごい。車、バイク、自転車までもが入りまじり、それに歩行者がプラスされ、いかに日本が整っているか感じられた。町を見るとビルが少したっていて、他にもビルを沢山つくっている途中だが、総人口のうち、そんなビルで働いたり、利用している人はほんの一握り、あとは古い店や古い家に住んで仕事をしている。町を歩くと確かに、こじの言った通りうちらは、目立っているかも...。中国でこんな格好してる人、少ない、と言うかいない。ちいは少し焦り、ピアス、ブレス、ネックレスをはずしたが、こじは「一緒や。」と言っていた。店の人は仕事に活気がなく、怒った顔で座ってたり、寝ていたりする。香港のしつこい客引きがなつかしい。店にはいってみたが、いらんもんばっか売っていて、客は、入っていない。ある食堂は、いい大人が真昼間から、5、6人でトランプをして楽しんでいた。あと町で座っている人とかも沢山いた。何をとっても私が今まで見た事がない町である。多少韓国をかすっているが。夕食を食べに食堂に入った。白ご飯に、チキン、野菜など自分の好きなものを乗せていく方法だ。おいしそうで入ったが、まあまあである。こじは、ピーマンと間違えてにがうりを入れてしまい、それだけ残してた。ちいもがんばったが残してしまった。2人で10元、なんとも安い。やっとパッカーになった気がした。ここでも、英語は、あまり通じなかった。やたら店員のお姉さん2人が笑っていた。ちいは、中国ショックで何が面白いのか知りたくもなかった。夕食を終え、パンを買って帰った。こじが、「どれも、うまそうちゃう。」と言っていた。韓国でさえ、パンだけは、おいしかったのに、ここは全滅である。それでも一番気に入ったやつを1.5元で買った。また、安い、何と。宿に帰っても、こじは本を読み続けくつろいでいる。ちいは、仲々...。でもまあまあ...。感じた事は、中学の時、何故英語なんかあるんだろう、と思ってだけど、今では感謝。世界の1人として本当に必要だと思う。やっておいて良かった。日本語だけたったら不便だっと言うか、困難ばかりになる。この旅とりあえず英語は役立っているからな。中国の人は、英語の授業がないので商売も大変である。中国は、カルチャーショックが多かった。50年以上前の日本の様である。人に聞くのと自分で見たのはやはり違うとこの旅でいつも思う。しかししかし、言葉が全く通じなくても習慣や時代が違っても、同じ人間には、変わりない。それが人の事を知らないで自分に与えられた国で育ち生活していくなんて。当たり前の事ながら、不思議に思った。まだ1日目、帰る時には、もっと多くの違った事を感じて帰ると思う。



はみ出し情報
*中国はまだ地下鉄がつくり途中である。広州は5駅だけ通ってるそうだ。
*中国のTVつまらん。日本のNHKの方がよっぽど中身が充実している。
*宿、安いのは良かったが4日間水シャワーや。がんばらな。この日記こじと2人で読んでたら涙出て来た。涙も出るわ...。がんばるもん。
*こじが中国なんか2度とけーへん。と言ってた。確かに、だから今大事にしなきゃ。今をかみしめろ。


おまけ
次の日

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注釈

(注1)この宿に私ら当ての手紙が来る事
中国をまわったら、また、香港に帰ってくるため、両親に手紙を重慶大厦に送ってもらうよう、絵葉書で伝えていた。

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(注2)焼きソバ
漢字で銀芽炒麺。この文字を家家楽で知っていたため、注文した。最後の香港で失敗したくなかった。やはり、思い通りのもので、おいしかった。

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